あきらめない画像

いきなりですが、僕はギターや音楽のプロだ。

プロというのは=なにかを続けてきた人、ということになるだろう。

いわば続けることのプロ、といっても過言ではない。

ちょっと偉そうすぎるが、そんな僕が何かを続けるためにどうしてきたか、ということをシェアしていきたいので、よろしければ是非この記事を読んでもらいたいと思う。

ダイエット・仕事・勉強・趣味・禁煙、続かない人が続けるためには

実はみんな一緒

さて、冒頭でたいそう偉そうなことを言ったけれど、実は僕もみんなもものごとが続かないことは一緒だ。

ダイエットで何度も挫折してきたし、禁煙も何回失敗したかわからない。

仕事も音楽で食えるようになるまではコロコロ変えたし、勉強なんぞ英語の本を何冊も買って、棚の肥やしになっていたりした。

何もかもうまく続けられる人などあまりいないので気にしなくていい。

再トライすればいいのだ。

あなたはそのためにこの記事を読んでいるはずだ。

やる気に左右されないようにしよう

やる気のない時に頑張れ、といっているのではない。

やる気のある時に徹底的にやれといっているのでもない。

あなたが自分のやる気のあるなしに翻弄されているのなら、そこから自分を解き放ってあげよう。

やる気のあるなしに関係なくものごとの鍛錬だとか勉強をする癖をつける。

とはいえやる気のない時に自分を奮い立たせるのは難しい。

であれば、逆にやる気のある時に、自分を抑えてみるのはどうだろう?

興がノってやりすぎてしまう人は、やる気に左右されやすい。やる気があるうちはいいが、やる気がない時はとことん何もやらなくなってしまう。

そして人間というものは、大抵の時やる気がない。

例えば楽器の練習やジョギング、楽しくなってきて続けてしまうところを抑えるようにしてみよう。

せっかく努力してるのになんでだよ!と思うことだろう。

だがそうすることによって、やる気に左右されない自分を作り出す。

やる気に関係なく行動するという規範を自分の中につくるのだ。

慣れてきたら次は少しやる気がない時を狙って、何か面倒なことをやってみよう。

部屋の掃除でもなんでもいい。

まずはそうやって自分の行動原理を、やる気と関係ないところに置くようにする。

そうするとどうだろう。

まだこの感覚がない人には不思議かもしれないが、「やる気ねー、ダリー、めんどくさー、しんどー」と思いながらも何かしら手や頭を動かしている自分に気づくはずだ。

考えてみれば当たり前で「やる気ねー」と脳味噌が英単語を覚えることとは、原理的には関係ないのだ。(もちろん能率には影響する)

やる気のあるなしと自分を、別な次元に置いてやると物事にとりかかりやすくなるのだ。

そしていざやり始めると人間エンジンがかかってくる。

やる気スイッチを捨てよう

あなたのやる気スイッチは何だろうか?

例えば年月の区切りがやる気スイッチだという人がいる。

来月になったら、誕生日がきたら、下半期に入ったら、年が明けたらはじめよう。(または止めよう)というような経験はないだろうか?

他にも、このタバコを一箱吸い終わったらやめよう。体重が区切りのいいところまでいったら本気だそう。次晴れたらジョギングを始めよう等々である。

これ、邪魔です。捨てましょう。

そういう人は同じことを繰り返してしまう。やる気に左右されすぎてしまうのだ。

面倒なことを言い訳つけて遠ざける人でもある。

やると決めたら今すぐやるのだ。英語やろうと決めたら1分しか時間がなくても「今」やるのだ。晴れたらジョギングするのではなく、「今」家の中で体操を始めるのだ。タバコは20本たっぷり入っていても「今」捨てるのだ。

今やればあなたの運命は動きだす。

動きはじめればモチベーションの関与する隙間がないかもしれない。

前項でやる気に左右されてはならないことを学んでいれば、あなたは自動的に理想の自分へと歩みを進めることになる。

ぜひやる気スイッチは捨ててしまおう。

僕がギターをやめなかった方法

ギターに限らず楽器というものは続けることが難しい。継続困難の代名詞みたいなものである。

僕がそのギターをなぜこれまでずっとつづけてこれたのか?

楽しかったから?

いや違う。ギターが楽しいのなんて残念ながら最初だけだ。

それにはある秘訣がある。

高校生の時だった。

ギターの超うまい先輩がこう言った。

「絶対に毎日ギターにさわれ」

当たり前のセリフだと思っただろう。僕も思った。

そりゃあ毎日触って練習した方がよいだろう。でもそれが難しくて困っているのだ。

しかし先輩の意図するところはそうではなかった。

「触る」というのは文字通りただ「触る」だけのこと。指先でちょんとギターのボディを突くだけでもいいというのだ。

んなバカな、と思ったが僕は毎日挨拶でもするようにギターにチョンと触るようにした。

かかる時間は1秒だ。もっと短いかもしれない。

するとどうだろう。僕のギター力は向上しだした。

うそみたいかもしれないが本当だ。

というのも秘密がある。

実は練習時間が伸びたのだ。

練習しない日が減ったといってもいいだろう。

チョンと触っただけで弾かない日もあったが、触ったならちょっと弾いてみようかな、という日も当然ある。

ちょっとどころかちゃんと練習しようという日も増えた。

そもそも毎日さわるためには、ギターを触りやすい場所に出しておいたほうが楽だ。

僕のギター力が伸びたことは当然の結果といえる。

おかげで僕は、普通の人よりギターが上手くなることができた。

もちろん今でも1日1回、指先でチョンと触ることは忘れていない。

続けることのメリットを知る

僕はギターを通して、続けることにより得られるパワーを体感し痛感した。

人は誰しも続けさえすれば上達するのだ。例外はない。

であれば練習方法をあれこれ考えるよりも、まず止めないことを主題におく方がよいと思うようになった。

上達したいもの、達成したいものに必ず接1日1回接するようになったのだ。

ダイエットしたいがどうしても走れない時は、スクワットを1回だけして終わらせることもあった。1セットではない、1回だ。

効果はほぼ0だろう。だが完全に0ではない。

そしてそれは確実に、明日走っているだろう自分に繋がっている。

結果僕は痩せることができた。

英語のアプリを開いて閉じただけの日があった。明日は開いたあと単語でも覚えているかもしれない。

内容や質など関係ない。どんな効率的な練習方も続けることの偉大さには絶対にかなわないのだ。

やめてしまったら全部ムダ?

継続することをやめてしまったら、全てムダになったと悲観して、中々再スタートできない人が多いのではないだろうか?

特に、毎日やると決めてる人に多い気がする。

だが人生ムダなことなんて何もない。

毎日ギターの練習をしなければならないと思っている人が2週間できなかったとしよう。

これで全部ムダになったと嘆くなら2週間に1度ギターのレッスンを受ける人はムダなことを続けているということになるが、そんなことは絶対にない。

1年ブランクが空こうが10年空こうがそれまでがムダになることなどないのだ。

あなたの体には必ず努力した分の何かがストックされている。

これは気休めや何かでなく、そうでなければ自然の摂理としておかしいという話だ。

あなたが神か何かなら話は別だが、そうでなければ努力が消失することなどありえない。

敵から距離を置く

あなたの身の回りはもしかしたら敵で溢れているかもしれない。

僕が敵と呼ぶのは、足を引っ張ろうとしてくる人達やマインドのことだ。

彼らは自分のことはすでに諦めているのだろう。だからあなたに同じレベルに落ちてきてほしいと思っている。

彼らの口癖はこうだ。

そんなのムダ。いまさらやっても意味がない。プロになるわけでもないのに。毎日やらないと全部ムダ。あわせてこれをやらないと効果がない。やらない方がマシ。

こういうことを言ってくる人はあなたの敵だ。もちろんあなたのためを思って言ってくれる人は除外してよいが、基本的には距離をとって構わない。

足を引っ張る人と距離を置くと、足を引っ張らない人達で形成されたコミニュティに入ることができる。

そんなのぬるま湯じゃない?と思うかもしれないがそんなことはない。人間レベルが高いところで暮らすには(収入のことではない)、それなりの高潔さが求められるのだ。

足を引っ張る人達には、足を引っ張る人達が集まってくる。互いに足を引っ張りあって、関係ない人もひっぱり込んで輪のように循環する。あなたがそこにいるのならいるなら、重大な危険が潜んでいる。

自分自身が敵になる

人の足を引っ張り続けると、それなしではいられなくなるようだ。足を引っ張る対象がいなくなると、次は自分の足を引っ張るようになる。

どうせムダだ。意味がない。恥ずかしくないの? と自分に言いだすようになる。そうなるとどうしようもない。自分自身とは距離を置けないのだ。

テレビに対して文句を言ったりするのもあまりよくはない。

特にいけないのは、ネットのコメントだ。

炎上、などという言葉をよく聞くようになったが、あんなものに加担しているようでは、いずれ自分の身を焼き尽くす。

人に文句を言ったりすることは気持ちがいいのかもしれないが、デメリットの方がはるかに多い。

それを外から眺めることもよくはない。

くだらないことからは距離を置き、あなたのマインドを清潔に保とう。

まとまった時間ができたら開始する癖をやめる

時間ができたらこれをしよう、と決めている人がいる。

もちろん始めるきっかけとしてはいいのだろうし素晴らしい。だがこういう人は時間がなくなると途端に継続をストップする傾向にある。

またまとまった時間がとれたら集中しよう、と思うからだ。

正直日本で生きていて、まとまった時間が取れることなどあまりない。

つまり「まとまった時間」というワードを使う癖がある人は、あまり見かけないものを追い求めているということだ。ほぼ存在しないものといってもいいかもしれない。

ではどうするか?

答えは時間などなくてもやる癖をつけることだ。

そんなの大変! と思うかもしれないが、別に量をこなせといっているわけではない。

例えば英語なら、仕事の帰りに電車に乗る前に知らない英単語を1つだけ頭に入れ、電車に乗っている間に記憶するよう思考を巡らす。

そんな勉強でも1年経てば365個の単語が覚えられる。10年続ければ3000を超える。

まとまった時間が……、といっている人はきっと100も覚えられないどころか、勉強しようと思ったことすら忘れているだろう。

今やる、今やる、を繰り返す。小さくてもいいのだ。

」再開したら続けたことになるよ

ギターの練習を続けていたが、3年前にやめてしまったとしよう。

ならば「今」再開してしまえばいい。

開始した瞬間に「今」まで継続したことに自動更新される。

屁理屈でもなんでもない。

過去やめてしまって1ミリでも後悔している事柄があるなら、今再開してみよう。

30秒でいい。それについて目を閉じ考えを巡らしてみよう。指で触れるものであれば、指先でつついてみるだけでいい。

やってみよう。

やりましたか?

おめでとう、これであなたの継続は更新された。

続けていたけどやめちゃった、などと言う必要はない。

続けている、と胸を張っていえばよい。

もしかしたら前項で書いた敵がくるかもしれない。

どう対処するかはもうわかっているはずだ。

継続は力なり

このブログは「結論から言います。」というタイトルだ。

そして「継続は力なり」という言葉は、正に本記事の結論のようなものだ。

ではなぜそれを冒頭にもってこなかったのか?

それは、こんな使い古された言葉を最初にいっても多分なにも響かないだろうなと思ったからだ。

だかここまで読んでもらった方は違うはずだ。

継続することの重要さを再認識してくれたと思う。

「継続は力なり」という言葉は、人生におけるチート技のようなものだと思う。

なかなか難しいことではあるが、重要さを再度認識し意識づけることができれば、あなたの人生は激変する。

また、焦ることもなくなるだろう。

ゆっくり行けばいつかは必ず辿り着くのだ。

挫けそうになった時は、当ブログが力になれれば幸いだ。

では、互いに幸福な人生を続けていこう。

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