
こんにちは。子供の頃から本が大好きだったヒカリンです。
自分の子供に本好きになってもらいたい人は、多いと思います。
しかし子供はそう簡単に本を読んではくれません。
強制すれば余計に本が嫌いになることでしょう。
本記事では、私が如何にして本好きになったか、その方法と私が本を好きになった理由について記したいと思います。
お子さんに無理に強制するよりも、きっと参考になるはずだと思います。
目次
私が本好きになった経緯

私は子供の頃、他の大多数の子供達と同じように、授業以外では本を読まない子供でした。
読むとすればマンガばかり。
典型的な、親に呆れられる子供です。
例によって私も「マンガばかり読んでいないで、宿題しなさい」としょっちゅう叱られていました。
しかし両親に本を読むよう言われたことは、一度もなかったと記憶しています。
私の生家には大きな本棚がありました。
辞書もマンガも雑誌も小説も、本の形をしているものならとにかくなんでもそこに並べます。
ムリヤリ詰め込んでいた、といってもよかったかもしれません。
小学四年生の頃だったと思います。
マンガも読み尽くしゲームにも飽き、好きなテレビもやっておらず暇を持て余していた私は、その本棚で一冊の本と出会いました。
ショートショートの神様、星新一
星新一という作家をご存知でしょうか?
SF小説の巨匠で「ショートショートの神様」と呼ばれている偉大な小説家です。
彼の描く作品は「ショートショート」というだけあって、とても短い作品が多いのです。
短いもので、なんと2ページというものまであったかと思います。
であるにも関わらず、驚くほど面白い。
そういう作品が文庫本の中に、何十篇とつまっているのです。
あまりに暇で、しかし勉強などしたくない私は、偶然本棚にあったその本を手に取りました。
驚いたことに数ページ読んだだけで、私は星新一の描く不思議なSFの世界の虜になってしまったのです。
「おせっかいな神々」という作品でした。
私の両親がとった行動
私は両親に聞きました。
「この本は一体何? ムチャクチャ面白いけどパパの本、それともママの本?」
そう尋ねると、しかし両親ともに首をかしげます。
そう、その本は両親のものでも家族の誰のものでもなく、親戚からダンボールでもらった古本の中の一冊でした。今ほどもので溢れていなかった時代なので、当時は古本のやりとりが多かったのです。
それが我が家の「なんでも詰め込む本棚」に並んでいたというわけです。
さて、そうなるとこの本の内容は我が家では私しか知りません。
この本の魅力を知らないなんて、なんてかわいそうな人たちだろう。
そう思った私は、星新一の書いた本の魅力を延々と語りました。
とはいえもちろん子供ですから、ストーリーをそのまま話すだけです。
各話が数ページと短いものばかりなので、小学生の私でも矛盾なく話すことができました。
そんな私の話を両親は熱心に聞いていました。
今考えれば、うれしかったのでしょう。
我が子が目を輝かせて、生まれて初めて本の話をしているのですから!
ショートショートの性質上、一冊読んだだけで何十話ものお話のストックができます。
私の方も興が乗って、何日もその話ばかりしていたことを覚えています。
その直後の両親の行動が、私を本好きにさせた
いかに「おせっかいな神々」が面白いといえど、子供にとって読んでしまえばそれまでです。
すぐに「何か面白いマンガはないかな〜」と前と同じ行動をしていました。
しかしマンガはもう飽きたものしかないので仕方なく本棚に目をやると、星新一の別の本があったのです。
星新一の本は、我が家の「なんでも詰め込む本棚」には一冊しかありませんでした。
それが知らぬ間に増えていたのです。しかも古く黄ばんだ「おせっかいな神々」とは違い、きれいな新品でした。
「ボッコちゃん」という作品だったはずです。
私はそれを一気に読み、また両親に本の内容を語りました。
そして数日するとまた新たな星新一の本が追加されています。
それを読み終え両親に内容を語り、また追加されるということを繰り返し、いつしか我が家の本棚には星新一の作品がほとんど並んでいました。
当然本を追加していたのは両親です。
子供だった私は何も考えず、「あ、増えてるラッキー」くらいの感じで読んでいました。
ほんとバカですよね。
「おせっかいな両親」ではなかった
私の両親は新しい本を本棚に並べても、私に「買ってきておいたよ」とも言わず、もちろん「読め」とも言いませんでした。
買ってきたことは「おせっかい」なのかもしれませんが、「せっかく買ってきたんだからちゃんと読みなさいよ」というおせっかいはやきませんでした。
『ただ本棚に置いておくだけ』
両親のこの行動が、大きく私の人生を変えたと思っています。
本の虫
別に本に虫がわいたわけではありません。
私が虫になったのです。
そうです、本の虫というやつです。
星新一の本をあらかた読んでしまった私は、改めて「なんでも詰め込む本棚」を見返しました。
するとたくさん面白そうな本があるではないですか。
そうです、いつの間にか私は「本とは面白いもの」と認識するようになっていたのですね。
自身の中で、マンガやゲーム、テレビと同列に、本が並んでいたのです。
そのあと読んだ本は「吸血鬼ハンターD」というハードボイルドウエスタンSF小説でした。
こちらは星新一とは全くテイストが違い、とても残酷な世界を描写したものでした。
しかしDの圧倒的な強さと美しさに魅了された私は、完全に吸血鬼ハンターDシリーズにハマりました。
その本について両親に話した記憶はないのですが、後に続編が数冊並んでいたのを覚えています。
児童書ではこの体験はできなかった
児童書は素晴らしい読み物だと思います。それを否定する気はありません。
ただ、私は児童書では本好きにはならなかった、というだけです。
星新一の作品を通してみた、絵にも言われぬ別世界。
吸血鬼ハンターDでしか疑似体験できない、超文明をもつ貴族と呼ばれるヴァンパイアの闊歩する辺境の地。
これらは私の中の価値観を変えるほど強烈な体験でした。
読書は娯楽
私を含め本好きの人たちは、本を読むことを偉いことだと思っていません。
娯楽です。マンガやゲームと同じです。遊びです。
「やらないといけないことがあるのにまた本読んじゃった、サボってないでしっかりしなきゃ」
という感覚です。
読書は偉い、高尚なものという意識を子供に抱かせることは避けたほうがよいかと思います。
やはり楽しい、面白いということでしか子供は動かないのでしょう。
余談ですが、昔あった二宮金次郎像なんて、「仕事中に本読んで遊んでるだけじゃん」と思っていました。(もちろん実際は違いますよ)
でも、本を好きになるというのはこういう感覚をもつことなのです。
まとめ

私の本好きは、前に述べた「なんでも詰め込む本棚」家にあり、そこに良質な本があったことから始まりました。
そしてそこに両親が本をそっと追加し、であるにもかかわらずそれについては何も触れなかったことがよかったのだと思います。
一度本の魅力を知ってしまえば、あとは止めても勝手に読むようになるでしょう。
自宅に本棚を置いてみてはいかがでしょうか?
私の生家のように大きくなくてもよいと思います。
なんならタブレットの中の本棚でもよいかもしれません。
とにかく子供が気が向いた時、自由に読めることが大切です。
そしてそこに、子供に読んでもらいたい本ではなく、
自分が読んで1番面白かった本
を置いてはどうでしょうか?
お子様も、きっと楽しんでくれると思いますよ。
(written by ヒカリン)